皆様、こんにちは。RIOです。
今回は、サン=サーンスをご紹介いたします。
Camille Saint-Saëns
カミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)は、フランスの作曲家で、マドレーヌ教会のオルガニストだったことも知られています。
サン=サーンスは、2歳でピアノ、3歳で作曲をとされており、モーツァルトに並ぶ天才と言われます。
10歳では、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの演奏会を開き、13歳でパリ音楽院に入学しました。
パリ音楽院では作曲とオルガンを学び、16歳では、最初の交響曲を書きました。
その後22歳からの20年間、当時最高峰と言われたマドレーヌ教会のオルガニストとして活躍します。
オルガンの仕事と並行して、音楽院にて作曲の教師になり、フォーレなどが彼の弟子となり、生涯の付き合いとなりました。
36歳ではフランク、フォーレらと、国民音楽協会を立ち上げ、フランス音楽の擁護をしていくようになりました。
サン=サーンス自身は、当時先進的とされていたリスト、シューマンやドイツではやっていたワーグナーの作品を擁護したりと批評家として活躍もしていました。(今で言う近代音楽への批判はすごかったらしい)
また旅行好きとしても知られており、スペイン、北欧、アメリカ、アフリカなどに足を運び、その土地で得たインスピレーションからもいろいろな曲を作曲しています。
パリではあまり人気が出なかった時期もありましたが、大学や国から賞をもらったりするようになってから、状況が変わり始め、亡くなった際には国を上げて葬儀が行われました。
ここで曲をご紹介いたします。
交響曲第3番「オルガン付き」
動物の謝肉祭
クラリネットソナタ
サン=サーンスとピアノの関係性
2歳からピアノを弾いていたという彼は、本当に天才だったようで、10歳頃のときにベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲32曲を公衆の面前で、しかも暗譜で弾いたという話が残っているくらいです。
それゆえ、ピアノ作品の難易度が高かったり、ピアニストへの批判皮肉なども多かったようです。
ピアノ協奏曲第2番
最後に
いかがでしたでしょうか。
サン=サーンスは、クラリネット奏者にとっても大切な作曲家で、遺作がクラリネットソナタなのですが、彼の人生を表したような曲となっています。
また国民音楽協会の立ち上げもフランスの音楽家を飛躍させた大きな功績となっています。