皆様、こんにちは。
今回は、ヴェルディと並ぶイタリアのオペラ作曲家、プッチーニをご紹介いたします。
Giacomo Puccini
ジャコモ・プッチーニ(1858〜1924)は、イタリア生まれのオペラ作曲家です。
18世紀から続く宗教音楽家の家系に生まれたプッチーニは、5歳という早い年齢で音楽家だった父を亡くします。
家族の期待を背負い音楽を学ぶようになった彼は、14歳でオルガニストになり作曲もはじめましたが、1876年に鑑賞したヴェルディのオペラ「アイーダ」に心惹かれ、これまでの宗教作曲家の伝統を打ち破り、オペラ作曲家になることを決めました。
4年後の1880年にはミラノ音楽院に入学し、3年間作曲を勉強しました。
1882年には第1作目のオペラ「妖精ヴィッラ」を書き上げました。
この作品はコンクール参加のための曲で、入選は果たせませんでしたが、1884年に舞台化され、それを見たリコルディ社(現在もある有名な楽譜出版社)の社長の目に留まり、以後長く関係が続くこととなります。
その後書いた第3作目のオペラ「マノン・レスコー」の大成功により、オペラ作曲家としての地位を確立しました。
「マノン・レスコー」の成功の際に繋がった、台本作家のルイージ・イリッカとジュゼッペ・ジャコーザの協力で「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」が書かれました。
これらが成功した後は、少し筆が緩やかになりました。
というのも、妻に愛人だと疑われた女中が自殺、ジャコーザ、リコルディ社の社長が立て続けに亡くなったということがあり、なかなか気が乗らなかったのでしょう。
1910年ごろからは、また作品をいくつか書き上げ、その中でも「ジャンニ・スキッキ」は今でもよく取り上げられる作品となりました。
ですが1924年、ヘビースモーカーであったプッチーニは、ベルギーのブリュセルにて咽頭がんの手術による合併症を引き起こし、66歳で没します。
ちょうどその時書いていた、「誰も寝てはならぬ」で有名なオペラ「トゥーランドット」は未完のままでした。
それを友人であったアルファーノという作曲家が補筆をするなどして、今に至ります。
ここで有名曲をご紹介いたします。
オペラ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」
オペラ「トスカ」より「星は光りぬ」(クラリネットのメロディが有名です。)
オペラ「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」
プッチーニとピアノの関係性
プッチーニも以前紹介したヴェルディと同様に、ピアノのオリジナル作品というのはとても少ないですが、オペラ作曲家ということもあり、旋律がめちゃくちゃメロディックです。
今では、オペラの中の有名な曲のアレンジ版が多く出版されていますね。
ottoには「誰も寝てはならぬ」のピアノ版の楽譜がございます!
最後に
いかがでしたでしょうか。
クラシック好きの方にとって、プッチーニのオペラは一度は見てみたいものではないでしょうか。
私は、「蝶々夫人」を見てみたいなと思います。笑