フジコ・ヘミング編:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのめいです。

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】


今回紹介する方はピアニストのフジコ・ヘミングさんです。

この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、

どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。

フジコ・ヘミングの幼少期

ヴァイマル共和政下のドイツ、ベルリンで生まれる。スウェーデン国籍

5歳で日本に移住したが、父は日本に馴染めず、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国してしまう。以来、母と弟と共に東京の渋谷穏田で暮らし、5歳から母:投網子の手ほどきでピアノを始める。

また10歳から、父の友人であり、ドイツで母がピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事する。以後、藝大在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受ける。

フジコ・ヘミングのヨーロッパでのピアニスト活動

その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事した。また、作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。しかしリサイタル直前に風邪をこじらせ(貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとしている)、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目を見た。

既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時に左耳の聴力も失ってしまい、演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、ストックホルムに移住する。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は40%回復している。

フジコ・ヘミングの人柄

東京育ちであるが、母の影響で言葉の端々に関西弁が出ることがある。

クリスチャン。母は仏教だったが、幼い頃から母に言われて日曜日に近くのカトリック教会に通う。司祭の歌声に惹かれて受洗。

岡山県総社市へ疎開していた女学生の頃に、ピアノを練習できる環境が整っていなかった。近所の総社市立日美小学校(現:昭和小学校)にはピアノが置いてあったため、小学生が帰った放課後、一人学校に行っては練習を繰り返していた。ピアノは現在も小学校の体育館で使われている。ドキュメンタリー映画製作の一環で、2022年5月20日には77年ぶりに小学校を訪れ演奏会を開いた。

『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』で、フジコが弾く『ラ・カンパネラ』に出会った一般男性(徳永義昭さん)の妹からの依頼で、「兄の弾くピアノを聴いてほしい」という夢に応えた。番組をきっかけに、2021年4月16日には北九州で、2022年4月28日には徳永義昭さんの地元・佐賀県で行われたフジコのコンサートのフロントアクトで徳永義昭さんが演奏。

20歳から愛煙家だったが、89歳でタバコを止めた

フジコ・ヘミングの演奏動画

【ピアニスト探究物語】↓↓↓↓

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