こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストの清塚信也さんです
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
清塚信也の生い立ち
1982年に東京都に生まれる。
日本人の父、韓国人の母をもつ。1996年の調布市立第四中学校2年生在学時に
「第50回全日本学生音楽コンクール」中学生ピアノ部門で入賞している。
1998年に東京交響楽団との共演でデビュー。
参加作品として
- 「のだめオーケストラ」LIVE!
- フィギュア・スケート ミュージック・セレクション
- Happy Running! / ハッピー・ランニング!
- フィギュア・スケート ミュージック・セレクション
- 映画「神童」オリジナル・サウンドトラック
- NHK大河ドラマ オリジナル・サウンドトラック 龍馬伝 Vol.2
- 帝国ホテルのクラシック
- 中島美嘉「STAR」
- オリジナル・サウンドトラック TBS系 金曜ドラマ「コウノドリ」
などにも携わっております。
清塚信也の人柄
両親が音楽好きで、特にクラシック音楽は家の中でよく流れていた。
母は小さい頃ピアノやヴァイオリンをやってみたかったが祖母がそれには否定的で、
自分の子供には学ばせようと、姉にヴァイオリン、清塚にピアノを習わせた。
清塚は5歳でピアノを始め、2歳上の姉が桐朋学園の「子供のための音楽教室」へ通うことになり、
小さかった清塚は留守番ができないため連れられて行き、姉を見ていた。
そのうちに音楽感覚が養われ、レッスンや練習は嫌いながら7歳から通うことになる。
将来は野球選手になることを夢見て運動していた。
小学6年生からプロのピアニストになることを考えたが、
中学生になってから受けたコンクールで予選落ちし今までの頑張りがすべて無駄になり
、このままでは負け犬になってしまうと思い、毎日半日ほどを練習に費やすようになった。
1年後の1996年第50回全日本学生音楽コンクール全国大会中学校の部で1位となる。
大学は高校からなじみのある人がいる桐朋学園大学へ進んだが、
自分が正しいと思ったことが周りに受け入れられず自分が
ピアノマシーンのようになっていると気付いた。
入学して日が浅いながら自分を知る者がだれもいない世界へ行こうとモスクワ音楽院へ留学し
セルゲイ・ドレンスキーに師事。周りにはデニス・マツーエフやニコライ・ルガンスキーらがいる中で演奏をしてミスをすると失笑が漏れる環境に鍛えられたが、
何もすることがない自由時間が一番辛く、
映画鑑賞や飲酒をしたり、ときには放浪の旅に出たりしながら2年間過ごし、何も得られず帰国した。
帰国してからは家族以外に話し相手がいなかった。ピアノさえも嫌いになっていたが、
以前の伝でコンサートの依頼はあった。
思い立ち、今まで世話になった人々に挨拶に行き人脈を築いていった。
埼玉西武ライオンズのビクトリーエンブレム「WE ARE ONE」のテーマ曲を制作している。
メディアでの活動
クラシックのコンサートとしては異例といえる長尺のMCタイムをとるほどの喋り好きであり
松本人志などお笑い芸人をリスペクトしていると公言する。
そのためバラエティ番組の出演も多く、毎日放送主催の「歌ネタ王決定戦」では審査員を務める
- 関ジャム 完全燃SHOW 不定期出演
- 清塚信也のガチンコ3B junior
- 清塚信也のガチンコスターダストプラネット
- ワイドナショー不定期出演
- + music
- ダウンタウンなう
- クラシックTV(MC)
- FNS歌謡祭 夏(フジテレビ)
- 2020 FNS歌謡祭 夏
- 2022 FNS歌謡祭 夏
このように多くのメディア出演をしております。
主な受賞経歴
2001年に桐朋学園大学付属ソリストディプロマコースに入学し、
2004年に日本イタリア協会第1回イタリアピアノコンコルソボローニャ部門で
2005年に日本ショパン協会主催ショパンピアノコンクール第1位
2006年にはザイラー国際ピアノコンクールで第3位を獲得している。
2007年公開の映画『神童』で、ワオのピアノ演奏シーンの吹き替え担当する。
同年12月にワーナーミュージック・ジャパンから3枚目のアルバムで
電子ピアノ鍵盤専門店/ピアノ教室 otto
住所:〒101-0022 東京都千代田区神田 練塀町13-1 SEEKBASE01棟 1-8
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営業時間:12:00-20:00 (水木定休日)