ビル・エヴァンス編:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのTOKOです♪

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

私も記事を書かせていただきます!٩(◦`꒳´◦)۶

私が最初に紹介するのはジャズピアニストとして世界的に知られるビル・エヴァンスさんです。

彼は、モダン・ジャズを代表するピアニストとして知られ、音楽活動30年足らずの間に、リーダーとして50枚以上のアルバムをリリース。グラミー賞に18回ノミネート、うち7回受賞、さらに2回のグラミーの殿堂入りを果たし、死後にはグラミー特別功労賞生涯業績賞を受賞しています。

ジャズは昔も今もまだまだ詳しくないのですが、私が初めて「かっこいい!」と思ったジャズのアルバムが、彼とジム・ホールさんの作品「アンダーカレント」でした。

数々の名盤、名曲を残すビル・エヴァンスさんの生涯をたどってみます。

幼少期から学生時代

ビル・エヴァンスさん(Bill Evans・本名:ウィリアム・ジョン・エヴァンス William John Evans)は、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。彼の父は、兄のハリーと同様に、幼い頃からエヴァンスに音楽を学ばせていました。

クラシック音楽に親しんだ後、10代に入ると兄と共にジャズにも関心を持つようになった上に、アマチュアバンドでピアノ演奏をするようにもなります。1946年にサウスイースタン・ルイジアナ大学に入学し、音楽教育を専攻。並行してアマチュアミュージシャンとしての音楽活動もさらに活発に行うようになりました。

なお、学生時代には後年のレパートリーの一つとなる曲「Very Early」を既に作曲しています。

学生でこんな曲を作ってしまうなんて…!すごいです。。。

1950年の大学卒業後、彼は1951年から1954年まで、召集を受けてアメリカ陸軍での兵役を強いられました。この3年間の内に、その後の生涯にわたる悪癖となった薬物常用が始まったといいます。

兵役終了後、ジャズのムーブメントの中心地であるニューヨーク州マンハッタンに出て音楽活動を開始。ミュージシャンの間で、伝統的なジャズ・前衛的なジャズのいずれにおいても優秀なピアニストとして知られるようになりました。この時代には、サイドマンとしての活動が主であり、リディアン・クロマティック・コンセプトで知られる音楽理論家・作曲家のジョージ・ラッセルの録音に参加しています。

1958年、マイルス・デイヴィスのバンドに短期間加わり、バンドを離れた後も、デイヴィスの要望で、ジャズ史に大きな影響を与えた1959年のアルバム「カインド・オブ・ブルー」のセッションに参加しています。

翌年に、エヴァンスはドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに迎え、歴史に残るピアノ・トリオ(ファースト・トリオ)を結成。このトリオは、独創的なスタンダード・ナンバーの解釈及び、即興性に富んだメンバー間のインター・プレイ※が高く評価され、ピアノトリオの新しい方向性を世に示しました。

このトリオで収録した『ポートレイト・イン・ジャズ』『エクスプロレイションズ』『ワルツ・フォー・デビイ』および同日収録の『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の4作は、「リバーサイド四部作」と呼ばれています。

この収録の数日後、ベーシストのスコット・ラファロを交通事故で亡くします。エヴァンスはショックのあまりしばらくの間ピアノに触れることすらできず、半年もの間、シーンから遠ざかりました。

※インター・プレイ:他のプレイヤーのアドリブ・ソロなどに反応して伴奏を自在に変化させていくようなプレーのこと。

しっとりとしたイントロからの軽快に跳ねるようなピアノの音が素敵です。

1962年になると、ベーシストのチャック・イズレイルとドラマーのラリー・バンカーという新しいメンバーと共に、トリオを再結成。彼はヴァーヴ・レコードと契約し、『ムーンビームス』『ハウ・マイ・ハート・シングス』などのアルバムを発表しました。

私が初めてジャズを好きになったアルバム『アンダーカレント』もこの頃の作品です。

1曲目の「マイ・ファニー・バレンタイン」がとっても好きです♪

兵役時代から始まったエヴァンスの薬物乱用は、1950年代後半のマイルス・デイヴィスとの仕事の頃にはすでに問題となっていました。

一時的な断薬には成功しても、晩年まで薬物との縁は切れませんでした。1970年代後半には、長年の麻薬常用の影響ですでに健康を大きく損なっていましたが、しっかりと病気療養をすることはせず、1980年9月15日に亡くなりました。51歳でした。

幼い頃から音楽に触れ、数えきれないほどの名作を残した彼ですが、友人との死別や薬物との闘いなど、多くの苦悩と共に生きた人なのだとわかりました。

人生の中の喜びも悲しみも、「ジャズ」という音楽に落とし込んだ彼の楽曲、ピアノの音色をもっともっと聴いてみたいなと思います。

さて、次はどんなピアニストが登場するんでしょうか!(๑˃̵ᴗ˂̵)و