皆様、こんにちは。
いよいよ来ました、私の大好きなブラームスです!!!!!!!!!
先に言っておきます。長くなります。笑
Johannes Brahms
ヨハネス・ブラームス(1833〜1897)は、Bachバッハ、Beethovenベートーヴェンとともに、ドイツ音楽における三代Bと称される、ドイツ出身の作曲家です。
市民劇場でコントラバス奏者をしていた父の手ほどきで音楽を始め、7歳から本格的にピアノを学ぶようになりました。
10歳ごろにはステージにたつほど早熟な才能を示したブラームスは、13歳頃にはピアノ演奏で家計を支えるようになりました。
20歳ごろからは レメーニというヴァイオリニストと演奏旅行に行き、ヨアヒムというヴァイオリニストに出会いました。特にヨアヒムとは、その後も長く親交が続きました。
ヨアヒムの紹介でリスト、シューマンとも交流を持ち、特にシューマンには熱烈に称賛されました。
一方でブラームスもシューマンのことをとても尊敬しており、シューマンの没後も敬意は変わりませんでした。
シューマンの記事でも名前を出した妻クララとも親交が深く、当時精神疾患で悩まされていた夫ロベルトを思い、家に駆けつけ、世話をしているときから親密になっていったそうです。
30代に入ると活動の拠点をウィーンに移すことを決め、1868年に書き上げた「ドイツ・レクイエム」で作曲家としての地位を確立しました。
ベートーヴェンを非常に敬愛しており、彼の第9の次となる曲を書くと決めていたブラームスはなんと20年かけて「交響曲第1番」を書き上げました。
そこからは比較的短いスパンで交響曲を3曲書き上げ、この4曲はいずれも人気の曲となりました。
ベートーヴェンへの敬愛はもちろん、古典のモーツァルトやハイドンも敬愛しており、彼らの直筆譜を集めて研究もしていたそうです。
更には、もう少し時代の古いバロック音楽にも関心があり、「交響曲第4番」ではバッハの作品をモチーフにしたり、歌曲「とてもかなわない」の中には、バッハと同時代の作曲家ドメニコ・スカルラッティの作品を引用したりもしています
1889年には、トーマス・エジソンが開発した蓄音機の録音(史上初のレコーディング)で自身の「ハンガリー舞曲第1番」を演奏しました。
このときの演奏で自身の老いを確信したブラームスでしたが、ここでクラリネット奏者としては外せない出来事があります。笑
それが、当時ヴィルトゥオーゾとして有名だったクラリネット奏者ミュールフェルトとの出会いです。
彼の演奏に触発されて、なんと「クラリネット三重奏曲」「クラリネット五重奏曲」「クラリネットソナタ第1番、第2番」となんと4曲もクラリネットのための作品を書き上げました。
更には、「7つの幻想曲」や「4つの小品」といったピアニストにとっても重要な作品や「4つの厳粛な歌」などを書き上げています。
クラリネット作品を筆頭にブラームスの晩年作品と扱われますが、曲の内容もどこか寂寥で宗教的な響きがします。
親密な関係であったクララの衰弱とともにブラームスも弱っていき、63歳でこの世を去りました。
ここで曲をご紹介いたします。
「クラリネット五重奏曲」
「交響曲第1番」
「交響曲第3番」
「5つの歌曲 Op.72-5 とてもかなわない」
ブラームスとピアノの関係性
ブラームスは主にドイツ、ウィーンのピアノを使用しており、1856年から1873年まではクララから提供してもらったグラーフというピアノ製造師のピアノを使用しており、そのピアノはその後楽友協会に提供されました。(現在美術史博物館に保管)
1880年代からはベーゼンドルファーや、ベヒシュタインのピアノを使用していました。
ベートーヴェンのあとを継ぐような音楽ですが、ロマン派らしい音楽の広がりを感じられる曲が多く、ピアノ曲も素晴らしいものが多いです。
特にこの時代には、ピアノがどんどん現代のものに近づいて来ました。
その変遷にうまく乗っかり、音楽を最大限広げていった作曲家とも言えますね。
「ピアノ協奏曲第1番、第2番」
「6つの小品 Op.118」
最後に
いかがでしたでしょうか。
愛が爆発しました。
今回紹介した曲の一部はottoに楽譜がございます。
ちなみに、うちのお店にブラームスのピアノ協奏曲第2番のCD(売り物ではないですが)があって、よく店内BGMになっています。
ご来店お待ちしております!!