こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストの反田恭平さんです
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
反田恭平の生い立ち
東京都出身。父はサラリーマン、母は主婦という家庭に育つ。
音楽好きな母が弾いたエレクトーンを聴き、それを瞬時に弾いたほど小さい頃から耳が良かった。
小学5年生の時に、サッカーの試合中に手首を骨折し、
接骨時のトラウマでサッカー選手の夢を諦めた。
また中学時代、曽我大介のもとで東京ニューシティ管弦楽団を指揮する機会を、
加えて音楽番組『題名のない音楽界』で1分ほど
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を指揮する機会を得る。
この時にクラシックが好きだと確信
ピアノを本格的に学ぶ決意し、桐朋女子高等学校音楽科へ進学を決めた。
反田恭平の活躍
高校3年生の時、日本音楽コンクールにて18歳で第1位。併せて、
聴衆賞を含む4つの特別賞を受賞。高校卒業後の2013年にロシアへと留学、1年の予備科を経て
モスクワ音楽院に首席で入学すると、翌2015年にイタリアで開催された
第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクールに参加し第1位に輝いた。
同年メジャー・デビューも果たし、タカギクラヴィア社長・高木裕のサポートを受け、
ヴィンテージ・ニューヨーク・スタインウェイを使用していた。
2017年、ポーランドへ留学しショパン国立音楽大学に入学。
すでにプロとして「最もチケットが取れないピアニスト」という肩書が付く活躍をしている
反田恭平の人柄
2018年、ドイツ・ビーレフェルトでの開催が予定されていた
コンサートの前日演奏予定だったイタリア人ピアニストがアクシデントで骨折。
「明日、ドイツで演奏できませんか?」とオファーを受けた反田は、
二つ返事で承諾すると即日本を発ち、
翌日ドイツでスタンディングオベーションが巻き起こる演奏を披露した。
さらにコンサートの主催者であったDMG森精機の森雅彦社長は、
反田のオーケストラ設立と音楽院設立への夢にも感銘を受け、
後にジャパン・ナショナル・オーケストラ株式会社へと共同出資するきっかけとなった。
初見演奏と暗譜力に傑出しており、
反田は「大体2日あれば、ピアノ協奏曲を初見状態から暗譜まで持っていける。
2回通したらスムーズに弾けることが大半、10回通せば暗譜できる」と明かしており、
岡本誠司は「ここまで暗譜が早い人はピアニストでもあまり見たことがない」と語っている。
反田は、体を整えて筋肉の質を高めれば自分の理想の音に近づけると肉体改造を決意。
自らの考察のみならず専門家にも話を聞き、ピアノを弾くために必要な筋肉、
骨密度に加え、体幹の重要性へと研究は及んだ。
主な受賞経歴
2008年 – 第18回日本クラシック音楽コンクール 最高位
2009年 – 第2回エレーナ・リヒテル国際ピアノコンクール 第1位
2009年 – 第16回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール 第1位
2009年 – 第63回全日本学生音楽コンクール 中学校の部 第2位
2010年 – 第11回ショパン国際ピアノコンクールin Asia 中学生部門 銀賞
2012年 – 第81回日本音楽コンクールピアノ部門 第1位、野村賞、井口賞、河合賞、岩谷賞(聴衆賞)[
2015年 – 第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール 古典派部門 第1位
2017年 – 第27回出光音楽賞 (2016年度)
2017年 – 第9回CDショップ大賞 クラシック賞
2021年 – 第18回ショパン国際ピアノコンクール 第2位
反田さんのストイックな面が音楽性や
世界で活躍できる秘訣なんだなと思いました。
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