アンドレイ・ガブリーロフ:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのめいです。

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】


今回紹介する方はピアニストのアンドレイ・ガブリーロフさんです。

この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、

どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。

アンドレイ・ガブリーロフの生い立ち

幼いころからゲンリフ・ネイガウスの門人であった母親からピアノの手ほどきを受ける。

1961年にモスクワの中央音楽学校でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルの学生であった

タチアナ・エフゲニエヴナ・ケストネルについて学ぶ。

モスクワ音楽院ではレフ・ナウモフに師事し、ピアノの学習を続ける。1974年、19歳でチャイコフスキー国際コンクールで優勝。同年、ザルツブルク音楽祭でスヴャトスラフ・リヒテルの代理を務めた。

J.S.バッハやショパン、リスト、ラフマニノフ、 ラヴェル、プロコフィエフを得意としており、

中でも《ラ・カンパネッラ》や《イスラメイ》のようなヴィルトゥオーソ向けのショウピースを得意としている。

2001年以降は家族とともにスイスのルツェルンに移住している。

アンドレイ・ガブリーロフの活動

1976年から1990年、EMI専属アーティストとして数多くの録音を行った。

これらの録音はグラモフォン大賞(1979)、ドイツ・シャルプラッテン賞(1981)、シャルル・クロー・アカデミーのディスク大賞(1985・1986)、国際レコード批評家賞(IRCA、1985)、「世界最高のピアニスト」と評価されたシエナのキジアーナ国際音楽アカデミー賞(1989)などを受賞。

1990年10月からはドイツ・グラモフォンよりショパン、プロコフィエフ、シューベルト、バッハ、グリークなどを録音、国際的に高い評価を受けた。


1994年から2000年初頭まではほとんど演奏活動から離れ、哲学や宗教の研究、そして新しい音楽のアプローチ法を模索していた。


2000年から徐々にコンサートを再開し2001年、モスクワ音楽院大ホールにて一夜で4つのピアノ協奏曲を演奏し、完全なる復活を遂げた。
以来一層精力的に活動している。


2011年には自叙伝を出版。2013年の第2版からは、書籍に新たに録音されたショパンのノクターン9曲が収められ、ロシア語、後にドイツ語、英語、フランス語、ウクライナ語で出版された。

【ピアニスト探究物語】↓↓↓↓

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