こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストのマレイ・ペライアさんです
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
マレイ・ペライアの生い立ち
4歳からピアノを始める。
最初の教師は「とても窮屈」だったらしく、完璧に弾けるようになるまで一曲を弾かせ続けた。
ペライア自身によると、15歳の頃に本人にもよく分からない理由から音楽的な興味が花開いたといい、それ以来真剣に練習に打ち込んだ。
1966年、17歳の時にニューヨークのマネス音楽大学へ入学、ピアノ、指揮法を学んだ。
当時、この音楽大学にはカール・シャハター、カール・バンベルガー、オスヴァルト・ヨーナス、フェリックス・ザルツァーといった
ハインリヒ・シェンカーの弟子や継承者が集まっており、
多大な影響を受けたが、シェンカーの音楽理論に本当に傾倒する
マレイ・ペライアが重視している点
インタビューにて…
私がつねに興味を抱くのは、楽曲がどのようにして作曲されたのか、ということです。
自分の探求は、ハーモニーをどう処理すべきか、音符がどのように進行し、まとまってゆくか、
また緊張感はどのようにして生まれてくるか、などからはじまります。
でも、そうやって分析してゆくうち、ベートーヴェンの場合
彼の人生がどんなものだったのかにも興味が湧き
また、彼が行った音楽研究そのものにも興味が膨らんでいきました。
ベートーヴェンは非常に幅広い勉強をした人です。
彼はハイドン、アルブレヒツベルガーに就いていましたし、
対位法に関して非常に高度な講義を受けていたのです。
音楽家が学ばなければならないありとあらゆることを彼は勉強し
しかも、深く徹底的に身につけた。その点にもとても興味を覚えます。
しかしながら、面白いのは、彼はむしろ社会的な意味で人生の達成感を得ていない
つまり、彼は一度も結婚しておらず、ご存知のように後半生は耳が聞こえず、
周囲となじまずに孤立しているような人生だったわけですが、
「音楽」では勝利をおさめた。
彼の作った音楽は彼の人生の個人的・実際的な面とは対象的に、栄光に満たされています。
と語っています。
怪我との向き合い方
1990年、ペライアは右の親指を切ってしまい、それが敗血症を引き起こした。
この症状のために抗生物質を服用したが、それが彼の健康状態に影響した。
1992年に手の骨に異常な炎症を生じたために音楽家としての経歴の危機に陥った。
数年間鍵盤から離れた生活を余儀なくされ、複数の手術を受けた。
この期間中、ペライアはバッハの音楽を研究することで慰みを得たと語っている。
バッハ研究のためにハープシコードを借りて音色を研究していた。
演奏の変化
インタビューにて…
技術的な意味では、ハーモニーに関することだったり、
対位法的な規則性だったり、いろいろで、そしてその中には、
若い時には思い浮かばなかった点も数々あります。
また情緒的な目線も、それはそれで、やはり言葉にできませんが、
あえて言えば、楽曲を一枚の絵画に例えたとき、
私はそこに以前より大きなスケールの絵を見ている、と言っていいのかと、
構成しているさまざまなパーツに注ぐ目線は以前と同じでも、
そのパーツが仕上げる全体像が、より大きなもののように感じます。
ただ、若いころはさほど意識に上って来なかった「悲しみ」を、以前よりも、数多く、音の中に汲み取るようになった、とも思いますね。
これはパフォーマンスにとって大切なことだと自覚しています。
そして悲しみ以外の感情表現も、
すべて、時とともに少しずつ違ったものになっていっていると思います。
おそらくは日々を生きている私自身が、変化し、違う人間になっていっているのでしょう。
と語っていました
ペライアさん自身が色々な逆境を乗り越えたからこその
音色に対しての深みだったり、感情表現だったりが
伝わってくるんだなと感じました。
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