こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストの上原彩子さんです
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
上原彩子の生い立ち
香川県高松市出身、岐阜県各務原市育ち。
各務原市立那加中学校、岐阜県立各務原西高等学校卒業。
ヤマハ音楽教室の「幼児科」に在籍後「ジュニア専門コース」へ進み、
ジュニアオリジナルコンサートで頭角を現した後1990年よりヤマハマスタークラスに入会。
ピアノを江口文子、浦壁信二、ヴェラ・ゴルノスタエヴァに師事。
幼少時から数々のコンクールで受賞を果たし、1998年、ロシアのモスクワで行われた
「第11回チャイコフスキー国際コンクール」のピアノ部門で、
最年少セミ・ファイナリストとなり注目された。
そして、2002年の第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて日本人として初めて、
かつ女性として世界で初めての優勝を果たし、クラシック音楽界のみならず各方面で話題を呼んだ。
日本や海外の音楽大学を卒業せず、
日本人ピアニストとして国際音楽コンクール世界連盟に登録したコンクールを制した異色の経歴である。以後、世界各地の著名なオーケストラとの共演を重ねた。
日本人ピアニストとして初めてEMIクラシックスとレコード契約を結んでいたが、のちにキングレコードに移籍した。日本国内はもとより世界各地の音楽祭、リサイタルの他、ロストロポーヴィチ、
ヤノフスキ、クリスチャン・ヤルヴィ、小林研一郎、小松一彦、飯森範親、大友直人、小澤征爾他の指揮のもと、オーケストラのソリストとしての共演も多い。
2005年10月にピアノ調律師の斎藤孝史と結婚し現在は東京芸術大学の准教授である。
上原彩子の活動
2003年 – ベルリン放送交響楽団と日本ツアーを行う。
2003年 – ロンドンのウィグモアホールにてリサイタルデビュー。
日本人ピアニストとして初めてEMIクラシックスとレコード契約。
チャイコフスキーの作品を収めたCD「グランド・ソナタ」をワールドワイドでリリース。
2004年 – モスクワ放送交響楽団と日本ツアーを行う。
2004年12月 – デュトワ指揮NHK交響楽団と共演し、2004年度ベスト・ソリストに選ばれる。
2005年10月 – マゼール指揮アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団と日本ツアーを行う
2005年8月 – フリューベック・デ・ブルゴス指揮のロンドン交響楽団との共演によるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を収めたCDをリリース。
2006年6月 – ロンドンのウィグモアホールにて2度目のリサイタルを行う。
2022年 – デビュー20周年を迎えた。
- NHK趣味百科 「ピアノで名曲を」
- 情熱大陸
- みゅーじん
- らじるラボ
など数々なメディアにも出演しております。
上坂彩子の人物像
教育熱心な母親が多かった時代。
上原さんの母も厳しかった
でも、上原さん自身が負けず嫌いで、先生にほめてもらうのが嬉しくて、
練習しないといけないとわかっていた。
父の仕事の関係で岐阜県に引っ越し、小1の時は神戸の教室まで往復4時間かけて通った
2年生になり、名古屋のヤマハに移った。上原さんの母が根気強く、送り迎えをした。
といった幼少期からの母の支えもあり素敵なピアニストに成長していったのでは
ないのかなと思います。
上坂彩子の主な受賞経歴
1992年 – 第3回エトリンゲン国際青少年ピアノコンクールA部門第1位
1995年9月 – 第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第2位
2000年3月 – 第5回浜松国際ピアノアカデミーコンクールグランプリ
2000年7月 – 第7回シドニー国際ピアノコンクールにて第2位、及びピープルズ・チョイス賞、オーストラリア人作品賞室内楽賞、ショパン賞、シューベルト賞、ドビュッシー賞、エチュード賞
2000年11月 – 第4回浜松国際ピアノコンクールにて第2位、及び日本人作品最優秀演奏賞
2002年6月 – 第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門第1位
2022年12月 – 文化庁長官表彰
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