ニコラ・アンゲリッシュ:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのめいです。

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】


今回紹介する方はピアニストのニコラ・アンゲリッシュさんです。

この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、

どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。

ニコラ・アンゲリッシュの生い立ち

オハイオ州シンシナティ出身。父のボリヴォジェ・アンジェリッチ(Borivoje Andjelitch)は

ベオグラード出身のセルビア人(当時はユーゴスラビア)ヴァイオリニストで、

母のクララ(旧姓:Kadarjan)はロシア出身のピアニストだった。

ベオグラード芸術大学で出会い結婚した2人は1960年代にアメリカに移住し、姓を英語読みのアンゲリッシュにした。

5歳のときから母親にピアノを習い始め、7歳の時にはオーケストラでモーツァルトのピアノ協奏曲第21番を披露している。

13歳でパリ国立高等音楽・舞踊学校に留学。アルド・チッコリーニ、イヴォンヌ・ロリオ=メシアン、ミシェル・ベロフ、マリー=フランソワーズ・ビュケに師事。

また、20代の頃に、レオン・フライシャーの教えを受けた。1989年にクリーブランド国際ピアノコンクールで2位、1994年にはジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールで初の戴冠を受けた。

2002年には、クラヴィア・フェスティバル・ルールで新人賞を受賞した。

チョン・ミョンフンや、デイヴィッド・ロバートソンの指揮の元、

フランスの主要オーケストラで共演。2004年にはクルト・マズア指揮フランス国立管弦楽団と日本ツアーを行った。エラート・レコードに録音したルノー・カピュソン、ゴーティエ・カピュソンのカピュソン兄弟とのブラームス三重奏は、ドイツ・シャルプラッテン賞を受賞した。

ニコラ・アンゲリッシュの演奏動画

ニコラ・アンゲリッシュの人柄

アンゲリッシュさんはラ・フォル・ジュルネ音楽祭も含め、

KAJIMOTOの招聘で数多く来日しています。早い時期の頃を振り返れば、

2004年にクルト・マズア指揮フランス国立管弦楽団との日本公演でブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」を弾いたときなど、この誰もが苦労せずにはおれ

ない難曲をいとも容易く涼しい顔で弾いてのけ、聴衆は呆気にとられたものです。


それ以後の彼の活躍は欧米の至るところで耳にすることになりましたし、2019年10月の来日では

、トゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団定期公演で聴かせてくれたラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」の類まれなる美しさ、そして紀尾井ホールのソロ・リサイタルにおけるブラームスの間奏曲集op.116やシューマン「クライスレリアーナ」での孤高の演奏は忘れることができません。ここでのアンゲリッシュさんは、音楽の、人間の精神の底に静かに沈み込み、かけがえのない大切な「何か」を取り出してきて聴衆に見せてくれました。それは確かに彼が踏み出していた新しい境地であり、「自分は音楽のしもべだ」と言っていました

【ピアニスト探究物語】↓↓↓↓

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