内田光子編:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのめいです。

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】


今回紹介する方はピアニストの内田光子さんです

この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、

どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。

内田光子の生い立ち

静岡県熱海市生まれ、英国籍のピアニスト、指揮者。ユニバーサルミュージック所属。

お茶の水女子大学付属在学中、桐朋学園の松岡貞子に学ぶ。

父内田藤雄が西ドイツ大使などを務めた外交官であったため

12歳で渡欧。1961年からオーストラリアのウイーン音楽院で

リヒャルト・ハウザーに師事する。

同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在籍し、

互いに切磋琢磨したという。その後も、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、

ヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マガロフらの薫陶を受ける。

その後、一時帰国するが、再び渡欧。

ロンドンでは一時、マリア・クルチオなどにも師事する。

演奏スタイル

得意とするベートーヴェンやシューベルトでは、拍節感を強調しない

拍子がそろった均等拍の特徴を使いこなし

拍子を均等にする代わりにフレーズが変わる都度テンポを揺らせ

強弱をコントロールし新鮮な印象を与えたり

シューベルトでは転調直前の休符に「期待感」の代わりに「完結感」を与えたりするなど

均等拍を基本とし、その上に意図的かつ知的な表現を散りばめ

全体としてシリアスかつ知的な印象を与えているとの評価がある。

世界での活躍

1984年、小澤征爾の指揮するベルリン・フィル定期演奏会に

バッハのピアノ協奏曲とメシアンの異国の鳥たちを弾いてデビュー。

それ以降、国際メジャー・オーケストラの定期演奏会、

そしてザルツブルク音楽祭、プロムス、タングルウッド音楽祭、

ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。

1991年、満を持して殿堂カーネギー・ホールにてデビューリサイタル。

1999年にGreat Pianists of 20th Centuryシリーズに日本人で唯一の選出。

最近では、子どものための演奏会、室内楽、マスタークラス、

そして若手音楽家への支援に力を注いでいる。

ボルレッティ=ブイトーニ財団の評議員をつとめ、

リチャード・グードと共同でマールボロ音楽祭のディレクターもつとめている。

内田光子の特徴

彼女の日本的な、精度に対する誠実さと執着心。

楽譜の読み込みの深さや正確さは、ほかの日本人ピアニストと共通する。

そこにヨーロッパ的な教養と感性が融合し、彼女のスタイルが完成されたのだ。
70年のショパン国際コンクール第2位

75年のリーズ国際コンクール第2位で注目され

国際的に活動。82年にロンドンで行なったモーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会が

空前の大成功を収め、国際的評価を獲得し、現在に至る。

居を構えるロンドンを中心とした演奏活動や、CDのリリースにより

着実に大家への道を躍進している。

日本人としてとの感性だけではなく海外からの感性とも融合している

所が内田光子さんの魅力だと感じました。

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