マルタ・アルゲリッチ編:【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】

こんにちは。

ottoのめいです。

ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ

【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】


今回紹介する方は世界的な音楽家のマルタ・アルゲリッチさんです。

あの天才的ピアニストはどのようなキャリアがあるのか、

どんな人物だったのかなど詳しく紹介していきます。

マルタ・アルゲリッチの生い立ち

ブエノスアイレスの中産階級に生まれる。

保育園時代に同じ組の男の子から「どうせピアノは弾けないよね」と挑発された際、

平然と弾きこなしたことがきっかけで才能を見出され

2歳8ヶ月からピアノを弾き始める。

5歳の時にアルゼンチンの名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァにピアノを学び始める。

1949年(8歳)、公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を演奏した。

翌1950年(9歳)にはモーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調K466と

バッハのフランス組曲ト長調BWV816を演奏した。

1957年、ブゾーニ国際コンクール優勝。

またジュネーブ国際コンクールの女性ピアニストの部門においても優勝し、

第一線のピアニストとして認められるものの、更にその後も研鑽を続ける。

1959年には、ブルーノサイドフォーファーのマスタークラスを数回受講している。

アルゲリッチは絶対音感の持ち主ではなく、調性を正しく認識していないこともあり、

聴衆の一人から「ト長調の前奏曲」の演奏を褒められても自分が弾いた曲のどれを褒められたのか判らず、考え込んだことがある。

1960年ドイツからデビューレコードをリリースする。

1965年ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局(マズルカ賞)も受賞

など幼少期からの天才ぶりが伺えます。

演奏スタイル

第一に挙げられるのは、ライブでも録音でも極度にテンポが速いということである。

しかし、打鍵は極めて強く正確で、リズム感が抜群である。

日本との繋がり

1970年に初来日し、以後、幾度も来日している。

大分県別府市とは特につながりが深く

1994年に別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任し

1998年から開催されている別府の総監督を務め、2007年には同音楽祭の主催団体である財団法人

アルゲリッチ芸術振興財団の総裁に就任している。

支援者が資金を拠出し、別府アルゲリッチ音楽祭の拠点となるコンサートホール

「しいきアルゲリッチハウス」が2015年に完成している。

アルゲリッチは、1998年以降は毎年の別府アルゲリッチ音楽祭のために欠かさずに来日している。

ただし2020年度は新型コロナウイルスのため音楽祭開催

来日ともに2021年へ延期された。

2021年度の別府アルゲリッチ音楽祭も新型コロナウイルス感染拡大のため中止された。

2021年5月、大分県はアルゲリッチの誕生日である6月5日を

「マルタ・アルゲリッチの日」と制定した。

2022年5月、大分県の芸術・文化振興への大きな功績に対し県民栄誉賞が授与された。

マルタ・アルゲリッチの性格

マルタ・アルゲリッチはこうしたタイプとはひと味異なった個性的なピアニストである。

情熱的で直截的、加えて飾らず気負わず自然体。

言動はサバサバしているように見えるが、実はとてもこまやかな神経の持ち主で、

常に周囲の人に気を配り、不思議な女っぽさを感じさせる。

マルタ・アルゲリッチさんは色んな部分で沢山の魅力がある人だと感じました。

唯一無二な表現がとても素敵ですね。

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