こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストのダニエル・バレンボイムさんです。
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
ダニエル・バレンボイムの生い立ち
ロシア出身のユダヤ系移民を両親として生まれる。
バレンボイムの祖父母はそれぞれベラルーシとウクライナの出身で、
ユダヤ人排斥の動きを逃れてアルゼンチンに移住した。
5歳のとき母親にピアノの手ほどきを受け、その後は父エンリケに師事。
両親のほかにピアノの指導を受けてはいない。
少年時代から音楽の才能を表し、1950年8月まだ7歳のうちにブエノスアイレスで最初の公開演奏会を開いてピアニストとしてデビュー。
1952年に家族を挙げてイスラエルに移住。
2年後の1954年夏、両親に連れられ、ザルツブルクでイーゴリ・マルケヴィチの指揮法のマスタークラスに出席。
同年夏、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーを訪ねる。
その他イタリアで当時無名で友人のクラウディオ・アバドと一緒に、フランコ・フェラーラの指揮クラスにも出席している。
1955年にパリで和声と作曲をナディア・ブーランジェに師事。
1952年にウィーンとローマにおいて、ピアニストとしてのヨーロッパ・デビューを果たす。
1955年にはパリ、1956年にはロンドンにデビューしており、
1957年にはニューヨークのカーネギー・ホールで、レオポルド・ストコフスキー指揮シンフォニー・オブ・ジ・エアーのもとプロコフィエフの『ピアノ協奏曲第1番』を弾いてオーケストラ・デビューを果たす。その後は、欧州、米国、南米、豪州、極東の各地で定期的に演奏会を行う。彼は既に21歳でベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を公開演奏している。
ダニエル・バレンボイムの受賞歴
- ヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門グランプリ1954年
- 哲学名誉博士号 イスラエル・ヘブライ総合大学、1996年
- ゴールデン・ゲーテ・メダル、2001年
- 寛容賞、トゥツィング福音アカデミー、2002年
- アストゥリアス皇太子賞 協調賞 2002年
- ドイツ・大連邦功労十字章2002年
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー賞2003年
- ブーバー=ローゼンツヴァイク・メダル、2004年
- ウルフ賞芸術部門、2004年
グラミー賞オペラ部門
- バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場、ジェーン・イーグレン、トーマス・ハンプソン、ヴァルトラウト・マイアー、ペーター・ザイフェルトほか
- ワーグナー『タンホイザー』
グラミー賞室内楽部門
- バレンボイム(ピアノ)ほか
- モーツァルト/ベートーヴェン『ピアノと木管のための五重奏曲』(1995年)
- バレンボイム(ピアノ) パールマン
- ブラームス 3つのヴァイオリン・ソナタ
グラミー賞管弦楽曲部門
- バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
- ジョン・コリリアーノ: 交響曲第1番(1992年)
グラミー賞ソリスト部門
- バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団
- リヒャルト・シュトラウス「管楽器のための協奏曲」(2002年)
- バレンボイム指揮 パールマン、シカゴ交響楽団
- エルガー『ヴァイオリン協奏曲』(1983年)
- バレンボイム指揮 ルービンシュタイン、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
- ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集(1977年)
グラミー賞ベスト・クラシック部門
- バレンボイム指揮 ルービンシュタイン、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
- ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集
ダニエル・バレンボイムの人柄
バレンボイムは、イスラエルによるヨルダン川西岸地区やガザ地区の占領に批判の声を上げ続け
(つまり、アラブ諸国とパレスチナの主張する、西岸とガザでの主権を放棄し「パレスチナ国家」を樹立するという主張に沿う発言をしている)
今やイスラエルが「ある民族のアイデンティティと戦うことによって、倫理的な柱を失いつつある」と述べた。
2003年には、イギリスの音楽評論家ノーマン・レブレクトによる取材に応じて、
イスラエル政府の動向を、「倫理的におぞましく、戦略的に誤っていて」
「イスラエル国家のまさに存在を危機に陥れる」姿勢であると糾弾した。
バレンボイムは、パレスチナ人との連帯の意思表示として、イスラエルのユダヤ人入植地、とりわけヨルダン川西岸地区において演奏活動を行なってきた。
など音楽以外の社会問題にも活動の場を広げています。
ダニエル・バレンボイムの作風
リヒャルト・ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのように
イスラエル政府から「ナチス寄り」と認定された作曲家の解釈に本領を発揮しているが、
これはバレンボイムがフルトヴェングラーに私淑し、
その後継者たらんとしてきた姿勢によるだけでなく、
ヤッシャ・ハイフェッツやロリン・マゼール、レヴァインなどのアメリカのユダヤ系音楽家、
あるいは同じくユダヤ人のショルティが、一般に新ドイツ楽派を得意のレパートリーとしている風潮とも合致している。(当時オーストリア支配下にあり、新ドイツ楽派の創始者リストの生地でもあるハンガリーに生まれ、初老期までドイツ国籍だったショルティは少し事情が異なる。)一方で民族的出自であるロシア物のレパートリーは、同じく他国で生まれたユダヤ系ロシア人であるバーンスタインやアンドレ・プレヴィンに比べても、さほど比重が大きくない。ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーの交響曲を得意とする。
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