こんにちは。
ottoのめいです。
ジャンルにこだわらず色々なピアニストの事を勉強するシリーズ。
【どこまで知ってる!?ピアニスト探求物語】
今回紹介する方はピアニストのアルフレート・ブレンデルさんです。
この天才的ピアニストはどのような人物であるのか、
どんな幼少期だったのかなど詳しく紹介していきます。
アルフレート・ブレンデルの生い立ち
1925年11月17日、オーストラリア人の両親のもとにニューヨーク州スケネクタディで生まれた。
「オーストラリア音楽の父」と呼ばれるユダヤ系作曲家アイザック・ネイサンの子孫にあたる。
2歳の時に両親とともにオーストラリアのシドニーへ移った。
ニュー・サウスウェールズ音楽院でオーボエを学び、1943年からシドニー交響楽団の首席オーボエ奏者を務めるが、指揮に興味を持ち、1946年にイギリスに渡り、翌1947年から1年間プラハに留学してヴァーツラフ・ターリヒに指揮を学んだ。
1948年にイギリスに戻り、サドラーズ・ウェルズ・オペラでヨハン・シュトラウス2世の『こうもり』を指揮し、指揮者としてデビューしている。1953年まで7年間、このオペラを指揮した。この間の1951年4月10日にヤナーチェクの『カーチャ・カバノヴァー』のイギリス初演を行い注目を集めた。
これは同時にヤナーチェクのオペラのイギリス初演でもあった。1954年から1956年にはBBCコンサート管弦楽団の首席指揮者を務めている。
1963年に、ショスタコーヴィチの『カテリーナ・イズマイロヴァ』でコヴェント・ガーデン王立歌劇場にデビューを果たしている。
1966年から1970年にハンブルク国立歌劇場の第1指揮者、1970年から1977年にサドラーズ・ウェルズ・オペラ(1974年以降はイングリッシュ・ナショナル・オペラと改名)の音楽監督を歴任した。
1978年にヤナーチェク賞、1979年にナイトの称号を受けている。
1979年からBBC交響楽団の首席客演指揮者、1981年からはシドニー交響楽団の首席指揮者にもなっている。1986年から1992年までウェールズ・ナショナル・オペラの音楽監督を務める。
1992年以後はスコティッシュ室内管弦楽団の、1993年からはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団およびサンフランシスコ・オペラの首席客演指揮者も務めている。この間、1996年から1997年のシーズンにはチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を務めた。
イギリスのフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者でもあった。ヨーク大学やチェコ・ブルノのマサリク大学をはじめとする多くの大学から名誉博士号を授与されている。
アルフレート・ブレンデルの人柄
ブレンデルは2度結婚している。最初の結婚は1960年から1972年までで、
ウィーンで声楽を学んでいたアルゼンチン人のイリス・エイマン・ゴンザラと結婚し、
娘のドリス(Doris)はプログレッシブ・ロックやポップ・ロックのミュージシャンとして活躍した。
1975年、現在の妻のドイツ人のイレーネ・ゼムラーと結婚し、2002年10月現在、チェリストの息子アドリアン、学生のカタリーナとニューヨークのロイターで働くゾフィーの2人の娘をもうけた。
アルフレート・ブレンデルの演奏動画
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