皆様、こんにちは。RIOです。
今回は、ロシアの大作曲家チャイコフスキーをご紹介していきます。
Pyotr Ilyich Tchaikovsky
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)は、美しい旋律や和声、リズムなど、華やかなオーケストレーションから、人気の高いロシア出身の作曲家です。
父はフルートを、母はピアノと歌を嗜んでいたため、音楽的な家庭だったチャイコフスキーは、家にあったオーケストリン(いろいろな音を奏でるオルガンのような楽器)で、モーツァルトやロッシーニの音楽に親しむようになりました。
5歳からピアノを習い始め、才能を示してはいましたが、両親には音楽の道に進ませる気持ちはなく、法律の学校に進学しました。
法と音楽を並行して勉強していましたが、14歳の頃に母が亡くなった悲しみから、一層音楽の勉強に勤しむようになりました。
法律学校を卒業し、官吏の職につきましたが、それほど熱意はありませんでした。
しばらく、平凡な官吏の仕事をしておりましたが、友人からロシア音楽協会の存在を聞き、23歳で官吏をやめ、音楽に専念するようになりました。
卒業後はモスクワで12年音楽院の教師をし、ロシア5人組(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、コルサコフ)と知り合ったり、交響曲第1番の作曲などを開始しました。
35歳頃には、ピアノ協奏曲第1番、白鳥の湖、ヴァイオリン協奏曲などを作曲しました。
その後も「弦楽セレナード」「1812年」「くるみ割り人形」などの作品を書き、成功。
カーネギーホールのこけら落としでも好評を得たチャイコフスキーは、サン=サーンスらと共にケンブリッジ大学から名誉博士号を与えられました。
53歳で「交響曲第6番「悲愴」」を書き上げ、初演の指揮をしましたが、わずかその9日後に亡くなってしまいます。
ここで、有名な曲をご紹介いたします。
バレエ組曲「くるみ割り人形」
ピアノ協奏曲第1番
弦楽セレナード
チャイコフスキーとピアノの関係性
チャイコフスキーは当時主要だったあらゆるジャンルに作品を残していましたが、同じロマン派の作曲家に比べると、ピアノ作品に重きを置いていたわけではありませんでした。
特に彼の初期の作品(作品番号1〜10)のうち8曲がピアノのための作品であり(当時はアマチュアのピアノ流行があったためおそらく多く作られていた)、彼の収入源に大きく貢献していたことでしょう。
生涯で100曲以上のピアノ曲を書きましたが、特にピアノ協奏曲第1番が有名です。(ottoスタッフのSAORIも大好きな一曲です!)
ですが実は第2番というのも存在しており、第1番と肩を並べる壮大さと、余分な力が抜けた爽やかさのある曲ですので是非聞いていただきたいと思います。
最後に
いかがでしたでしょうか。
動画をいくつか貼らせていただきましたが、皆様聞いたことのある曲が多かったのではないでしょうか。
ottoには、先程ご紹介した「くるみ割り人形メドレー」の楽譜がございます!!
是非、お店にいらしてくださいね!